立川歴史民俗資料館 - 立川市
オススメしたい東京23区のスポットを、独自のめせんで紹介しています!
…が、早くも23区でない立川登場…
たまたま近くに行ったので… 多分もう2度と行く機会もないので(?)紹介です!
アクセスは立川駅南口から、2番乗り場から「富士見町操作場」「新藤福島行」に乗り約10分、「団地西」にて下車。バス停すぐの交差点を渡り、団地の間を歩いていきます。
そうすると以下の看板が。
分かれ道あるけど、どっちを行っても辿り着く、っていいたい地図なのかな?
住宅街を歩いていくと、いかにも立派な博物館が現れます。
この立川市民族資料館の敷地は、江戸時代より約400年にわたって住んでいた井上家の屋敷の一部だったのですが、当主の井上重雄さんが文化財保護のために寄贈されたものだそうです。
常設展示室入って左にあったのは、立川の人々の生活と深くかかわってきた多摩川での漁法と漁具が紹介されていました。
アユなどもとれたので、明治時代にはアユ料理の料亭が3件あり、川原の小屋や屋形船の上でアユ料理を楽しむ風景が見られたのことです。
上の写真は「ザコドゥ」「ウナギドゥ」という魚を採る仕掛けで、入り口は広いが中に返しがついており、いったん中に入ると出られないようになっています。
また、この辺りは桑苗の一大産地で養蚕も盛んでした。
中世にのみ流行った「板碑」についても展示されていました。
板碑とは、死者の追善や供養のために建てられた塔婆の一種となります。
都内23区にも板碑は発見されていますが、この立川のものに比べると小さいものです。
板碑は埼玉の長瀞にて削り出された石によって作られているため、そこから川を使い船で運ばれる範囲は板碑は大きいのです。ですので埼玉の板碑はでかい。
しかし東京付近となると、人や馬によって運ばれるため石が小さくなり板碑が小さい。なので立川はその中間点だけあって板碑の大きさも23区で発見されたものより大きいのです。若干ですけどね。
展示室の外のスペースでは、こどもの日が近かったので兜などが展示されていました。
珍しいのは、桃太郎と仲間たちの人形です。
犬やキジも鎧を着ている、かわいらしい人形でした。
展示室の外には、これも井上家より寄贈された蔵が保管されています。
江戸時代に建てられたものです。
当時使用されていた農具も展示されています。
土蔵は温度や湿度に強いので、収蔵庫として使用されているそうです。
下にあるのはゴミ箱でなく 用水をためておいたものです。
奥には井戸もあります。ここまで立派なものは初めて見ました。
時代をタイムスリップしたようです。
約30分ほどで展示を見終わりバス停へ戻ります。
団地の間に見えるあれは!
こ、これは東京オリンピックの名残りの聖火台⁈ と驚きましたが、
近辺の地図で確認したら給水塔でした。
すごいシンボルマークですよね。
駅からちょっと離れていますが、立川のことを知るには面白い資料館でした。
ここでは紹介しませんでしたが、今の昭和記念公園も戦後アメリカの基地となり、その後自衛隊も使用して。。。などの立川基地の変遷も紹介されていました。
立川市は東京都になって3番目にできた市ということで、歴史もある街です。
立川市の散策に少し足を延ばして訪ねてみてはいかがでしょうか。